一行日記9月②ハーバードにてレセプションの洗礼、William Julius Wilson先生の引退記念講演

考えてみると、もうホノルルにいないので、ブログのタイトルを変えないといけないかもしれない。それに最近はもはや、一行日記の体すらなしていない、反省。

家に帰るとき、たまに、息をのむくらい綺麗な夕日がある

レセプションの洗礼


今週は、学期のはじめとあって、様々な「レセプション」が目白押しだった。要は、「学期始め祝いに、新入り歓迎と、みんなお帰り、で、みんなでご飯を食べる」というくらいの話で、ハワイ大学でも一応似たような催しはあるにはあるのだが、ケータリングのピザとか(十中八九Papa Johnsのペペロニとチーズしかのってないやつ。もっといいやつを食いたかった…)、中華を適当に食べ、コーラとか安いワインを飲みながら適当に話すくらいの感じである。

しかし、ハーバードはやはりスノッブ。

ランチ・レセプションでも、庭でワインや、スパークリングウォーターを飲み物を飲みながら雑談、その後部屋に通されて、前菜・メイン・デザートと、ゆっくりご飯を食べるという優雅さにはたまげた。

Papa Johnsとコーラなら、5分で食べられるのだが。

しかし、業界の名だたる先生方と、普通にお話ができるのは本当に貴重な経験である。

すごく若くて、気さくな先生とお話をして、家に帰ってから、ルームメイトで違う研究所のポスドクの日本人Tくんに「いやー、○○さんっていうすごい気さくで優しい人と話したよー」と自慢したら、「その人、○○の業界では世界で三本の指に入る先生ですよ!」と言われて、「ありゃりゃ、そんなに偉い人だったのか」と、仰天した。

しかも、ドレスコードがあることもある。

数週間前まで、スーツどころかジャケットすら持っていなかった人間には一大事である(ハワイではTシャツしかしか必要ない。イベントがあってもアロハで乗り切れる。必要ないので、いらない服はだいぶ昔に全部捨てた)。

ブレザーが一着あれば大丈夫だとみんなが言うので、Labor Dayのオンラインセールで85 ドルに値下げになっていたポロのブレザーを購入。シャツも一枚購入して安心していたが、自分の研究所のレセプションと写真撮影の前日になって、「写真撮影はネクタイ推奨、レセプションはFlat Toe Shoes禁止」というお触れが回ってきた。

靴はあるが、恥ずかしながらネクタイを持っていない(海外にいると、幸か不幸か冠婚葬祭にも呼ばれないので、最後にネクタイをしたのは大学の卒業式である。そのネクタイも捨てた。)

困っていたら、オフィスメイトのL君がネクタイを貸してくれた(LくんはオックスフォードPh.D.なので,その辺は当然ちゃんとしている)。しかも、ネクタイの付け方がわからないわたしに代わってネクタイもやってくれた(涙)。

「なかなかいいかな」、と思っていたのだが、鏡で見てみたら、「これアダルトビデオに出てくる、高校生役のおっさんじゃね?」と、なった。

みんなの優しさで最初の一週間を乗り切れたのであった。

ケンブリッジは田舎っぽい都会

まわりの人に恵まれ、新生活も順調である。

ケンブリッジは都会なのだが、ホノルルに比べると道が広かったり、家ばっかりだし、公園も多かったり、田舎っぽいところもあって変なところである。

今住んでいるところは2010年のセンサスで、アメリカの全自治体の中で17番目に人口密度が高いらしいのだが(17のうち10自治体はニューヨーク都市圏、一つ上はサンフランシスコ市)、両親が住んでいる中野駅前周辺に比べると、これで人口密度が高いとは笑わせる、というくらいの余裕がある。

リスがいっぱいいるし、数日前、家に帰ってきたら大きなアライグマが2匹家の裏庭にいた。


アライグマちゃん

それほど広いところではないのだが、歩きでは無理がある。車を買うにはお金がないし、学校に駐車するところもない。それに、真冬に道が凍ったら絶対に運転したくないので論外。これまで、道に置いてあるレンタルステーションから借りる、月20ドルのレンタル自転車を使っていたのだが、みんな朝ハーバードに行って、夕方帰るので、使いたいときにいつも自転車がない。

朝の自転車ステーション

仕方がないので安い自転車を買った。ビンテージでかわいい。ハンドブレーキがついていないのだが、ギリシャ人の陽気な中古自転車さんと楽しく話をしているうちに、「ブレーキない方がシンプルでかっこいいよね!」と深く考えずに買ってしまった。

思った以上に止めるのが難しくて、店からオフィスへの帰り道に、「これは生死に関わる問題だな」と、後悔。

ブレーキを設置しようかと思ったのだが、90ドルもするというので悩んでいる。

事故に遭う前に設置するべきか、見た目重視でいさぎよくノーブレーキか、意見募集。


1950年代のビンテージだそう

William Julius Wilson先生の引退記念講演


今週は、The Declining Significance of Raceや、The Truly Disadvantagedなど、Urban PovertyへのPolitical Economyをもとにしたアプローチで有名なWilliam Julius Wilson先生の引退シンポジウムが3日間あって、それこそアメリカ社会学の名だたる先生達が勢揃いしていた。


先生

他の用事などで、残念ながら最終日のパネル一つと、それに続く引退記念レクチャーしか見られなかったのだが、「西ペンシルベニアの田舎のシングルマザーの家庭に育って、ハーバードに26人しかいないUniversity Professorになれたのは、百万分の一の確率」というその境遇や、
お母さんの話をしながら途中涙に詰まっていたのは、勝手に話を聞かせてもらっているわたしですら、胸に迫るものがあった。

最後はスタンディングオベーションで、素晴らしい講演だった。


拍手喝采

僕のコミッティーの先生達の引退記念レクチャーの時も思ったのだが、引退記念講演では、自分の人生と、社会学のキャリアーの軌跡を両輪で話す。何が起こるかというと、社会学の研究では、「不平等は世代を超えて伝播する」ことが明らかになっているので、貧しい境遇からものすごく成功してしまった自分の人生となんとなく折り合いが悪い、ということになる。

当然ながら、全体の傾向と個別のケースは別の話。だから何と言うことはない。

William先生も、講演の中で、自分はいわゆる「Outlier (外れ値)注)マルコム・グラッドウェルの同名の本を参照してました」と言っていた。

なのだが、反射的に「なぜ貧しい境遇から先生たちは成功したのか?」という謎が生じる。

その一定程度は、先生たちの並外れた努力とか、ある種の才能でしか説明出来ないと思うのだが、さすがに社会学の先生たちはそこには絶対立ち入らない。なので、「運が良かった」、「まわりの人に恵まれた」、「いいときにいい場所にいた」、という偶然性に基づく説明になる。みんな社会学に忠実というか、ストイックだな〜、と思った。

自分だったら、「さすがオレ」っていう一番バカな結論になりそう。

これは、「頑張っていれば、誰か見てるし、いいことあるよ」って話なのかな、と勝手に解釈したのであった

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