海外大学院生・ポスドクが心を病まないための趣味のススメ


アメリカでは、大学院生の「メンタルヘルス・クライシス」はしばしばウェブニュースなどで取り上げられている。たとえば、ハーバードの研究によると、験対象だった経済学専攻の大学院生500人は、アメリカ人の平均と比べて3倍の割合で、メンタルに問題をかかえている人が多かったとか、10人に一人が2週間以内に自殺願望を感じていた、などなど悲惨な状況が報告されている

ましてや、外国人大学院生・ポスドクはただでさえ劣等感を感じがちで、孤立しがち。

それゆえ、われわれにとって、「いかにして心を病まずに研究を続けるか」というのはそれ自体、研究の成果に負けず劣らず重要な課題である(久しぶりに気持ちよく断言)。なぜなら、研究がうまくいかなくても死ぬことはない。しかし、一旦バランスを崩してしまうと、それこそ死につながることもあるし、簡単に治ったりすることもない。 





これは「社会学的想像力」を喚起する非常に重要な現象と思われる。 


そこで、本稿ではなぜ、いかにして、海外大学院生が心を病むのかを、最新の社会心理学の知見を踏まえて考察する、ことはわたしには到底不可能なので、このテーマは泣く泣く専門家のみなさんに譲りたい。わたしも影ながら応援する所存だ。

というのはともかく、ここでは、わ
たしが個人的経験から考えた極私的対処法、「研究と同じくらい重要な趣味」の有用性について書きたい。

これは、きちんとした研究などに基づいているわけでもないし、他の人がやってみたらあまり効果がなかった、ということも大いにあり得る。 また、海外大学院生・ポスドクといっても、家族の有無や住んでいる場所など、個々人の置かれている状況によって千差万別なので、趣味なんか必要ないという人が多いのも承知しています。

孤独のスパイラル 

わたしも、大して研究もしていないくせに、修士課程が終わって博士課程の一年目の時、一時期精神的にしんどかった時期があった。寝れなくなったり、部屋の外にでるのが怖くなったりとか色々あって、一時期は「もう日本に帰るしかないか…」と思っていた。

振り返ってみると、その時は、①勉強に没頭していて、②孤独で、③他の人に劣等感を感じていたのが原因だったように思う。なかでも孤独は本当に良くない。

問題は、大学院というのは上のような生活環境を作りやすい、という点にある。

まず、「勉強に没頭」することは当然ながら「良いこと」とされている。

次に、社会科学や人文科学系の場合、研究の多くの要素、「読んだり、書いたり、パソコンに向かったり」は一人でしかできない。

この二つの条件が合わさると、

勉強に没頭する→孤独に過ごす時間が増える→メンタルヘルスが悪化する

というスパイラルに陥りやすい。

大学院で良いとされている行為に没頭すればするほど、実は自分の健康に悪いという本質的な問題があるのだが、「良いこと」をしているという自負があるため、中長期的に自分の健康を損なっていても気付きにくい。

母国語圏にいれば、ネットワークが複数あるので、話す相手がなんとなくいたり、友達と会ったり、飲み会があったりといろいろとあるのだが、自分で意識しないと孤立しがちなのが海外生活のつらいところ。

さらに、大学の制度は、さまざまな側面で競争の原理に基づいてデザインされている。まわりと自分を比較しやすい環境なので、よほどの天才か、マイペースな人でない限り、他の人に劣等感を感じずに過ごすのは難しいのではないかと思う。もちろん、「くっそー負けるか」という感じで、劣等感がポジティブな方向に向かえばいいのだが、往々にして 

劣等感を感じる→勉強に没頭する→孤独に過ごす時間が増える→メンタルヘルスが悪化する→さらに劣等感を感じる→(続)

というスパイラルを加速させがちなので、諸刃の剣でもある。

「もったいない」と「めんどくさい」はヤバい 

大学院にいると、勉強以外の時間を「もったいない」と感じてしまう。数年前に引退した僕の先生の一人も、いまだに研究以外の時間をもったいないと感じてしまうと言っていたので、この感覚は一度身体化されるとなかなか消えないようだ。

さらに、たとえばアメリカ人しかいないパーティーに行っても、アメリカのサブカルチャーの話とかよくわからないし、と、他の人と関わることを「めんどくさい」と思ってしまいがちである。

そこで、その代わりに勉強でもして有意義な時間を過ごすか、となってしまう。

「もったいない」とか「めんどくさい」と思うのは悪いことではないのだが、問題はこの感覚を放っておくと、その範囲が延々と拡張してしまうところにある。


運動する時間や食事の準備まで「もったいない」、「めんどくさい」と感じ始めると、生活の質がものすごく下がるし、孤独に過ごす時間は無限に延長していく。

なので、適度に「もったいない」時間を過ごしたり、「めんどくさい」ことを意識的にするのは意外と大事なように思う。

研究と同じくらい没頭できる趣味や副業 

そこで大切なのが、趣味や副業などを充実させることである。

吉原真理先生の『アメリカの大学院で成功する方法』にも、大学院2年目以降には、勉強に差し支えない程度に趣味やバイトなどをして大学院生以外のアイデンティティを確立するのがよい、と書いてあった。

わたしの場合、大学院の途中からサーフィンをはじめたのが本当に良かった。最近は海が遠くてサーフィンをできないので、ボルタリングをはじめた。 



なぜ、趣味や副業がいいかというと

① 大学院の外の人と接する機会が出来ることによって、「勉強がうまくいかなくてもみんな気にしないし、死ぬわけじゃないな」と、物事の見方を相対化できる(注1:普通の大学院生と毎日サーフィンしてる人たちの生きる世界の隔たりは大きい)。

② 研究がうまくいってないときも、趣味を通じて能力が向上することを通して達成感を得られ、他の面でも人生の前向き度が増す(注2:趣味が上達する喜びは、論文アクセプトよりも大きいという。N=1)。

③ 研究のことを考えない時間ができる(注3:研究がうまくいっていない時には特に必要)。

④ これは運動系に限るが、運動を真剣にすると体の疲れと脳の疲れのバランスがとれてよく寝られる(注4:これにより作業効率があがる)。

⑤ 趣味の時間をつくるために、ダラダラと効率悪くオフィスや家にいることが減ってメリハリがつく。

ここでの趣味や副業というのは、例えば映画を見るとか、盆栽とか内容は何でもいいのだが、適当にやっているだけではダメで、研究と同様に熱中できるくらい自分にとっておもしろいことでないと上記のような効果が得られない、気がする。


一時期、箱庭?みたいなのを作ってみたのだが、そこまで熱中できないし、箱庭を造りながらも研究のことも考えられてしまうので、なんとなくやらなくなってしまった。そして、みにくい箱庭の土台が残された。



リアルな喜びの追求が肝要。

研究に生活を乗っ取られないために

最後に。 

海外にいると、とかく大学生活にいろいろなことを期待しがちで、「友達が出来ない」とか そういう本来の勉学とは関係ないことでさえも落ち込んだりするが、大学にいる主な目的は学位を取ったり論文を書いたりすることである。

ほどよく趣味などを取り入れて、生活全体が大学生活に乗っ取られないようにしたい。 


研究以外の仕事でも、いくら頑張っても過労死したらなんのために働いていたのかわからないのと同じで、研究や勉強はまぁ仕事であって人生そのものではないと割り切って、心を病まない程度に、今後も「適当に」やっていく所存。

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