自己隔離日記③
前回ブログを書いてから2週間以上経ってしまった。隔離生活も一ヶ月に近づき、この間特になにもおもしろいことが起きていない。アメリカはまだ先が長そうである。
おもしろいもので、以前は普通に買い物をできていたのに、消毒しているところを見ていると恐怖感が喚起される。最近ではなるべく息をとめて買い物をしているほどだ。早くのびのびと呼吸しながら買い物をしたい。
毎日同じような生活にも大分慣れてきた。午前中にライティングややらなければならないことをやり、午後はリーディングをしたりして、のんびりと過ごしている。
ミーハーなので、流行っているというカミュのペストを読んだ。途中までペストに関するあらゆる報道を追っていた市民たちが、疲れてきて無関心になるところなど、「パンデミックあるある」を多分に感じた。しかし、正直、話は抑揚に欠けておもしろくはなかった気がするが、私に教養がないからわからないだけかもしれない。
ガラガラのハーバードスクエア近く |
何かとパラノイア
家が乾燥しているので、効果のほどは不明だが気休めに最近はずっと加湿器をつけている。
ある日つけるのを忘れたまま寝てしまい、夜中に喉がカラカラになって起きた。そうすると、「ゴホゴホッ」と、乾いた咳が出るのである。「これが噂の…ついにきたか」と、その日は怖くてしばらく寝られなかった。
喉が渇いた以外に症状はなかったのだが、熱を10回くらいはかってしまった。噂に聞くところによると、急激に症状が悪化するらしいので、万一の事態に備えて近所の病院の電話番号もメモする。しかし、翌朝になってみると何事もなく絶好調であった。
もう誰がかかっているかもわからないこんな世の中では、パラノイアになりがちである。
たまに、ルームメイトが咳をしている音がドアの向こうから聞こえただけで「ビクッ」となってしまう。考えてみると、小さな咳はコロナが流行する前から継続的にしているのであるが。
最近は、スーパーマーケットもソーシャルディスタンシングが厳しくなっており、どこにいっても入場制限でしばらく待たないと入れない。トレーダー・ジョーズなどは、入り口で全員手を消毒、カートも一人使うごとに、農薬を撒くような機械に入れた消毒液でビショビショにして滅菌している。
スーパーに並ぶ |
おもしろいもので、以前は普通に買い物をできていたのに、消毒しているところを見ていると恐怖感が喚起される。最近ではなるべく息をとめて買い物をしているほどだ。早くのびのびと呼吸しながら買い物をしたい。
晴れのありがたさ
昔から、なぜ白人は日光浴しがちなのか謎だった。
ハーバードのあるケンブリッジでも、チャールズリバー沿いでヨーロッパ感のある人たちがよく日光浴をしている。若いサングラスの女性が日光浴しながら、ペーパーバックを読みつつ、細いタバコをふかしていたりして、フランス映画のようである。
無意味に陽を浴びてもなぁ、と考えていたわたしであるが、ケンブリッジ生活から、「晴れはありがたい」ということを学んだ。現在のような隔離生活ではなおさらである。
ヨーロッパもそういうところが多いのだろうが、ここは感覚的には週のうち半分くらいは曇りか雨の気がする。それに加えて、冬の間は日照時間もびっくりするほど短い。雨が多くてもジムやクライミングなど室内で運動できればまだいいが、現在のように雨だとなにも出来ない。ビタミン不足で死ぬかもしれない。
そこで、晴れるとここぞとばかりに、チャールズリバーに行って日光浴してしまうのであった。
チャールズリバー |
一見気持ちよさそうだが、よくよく見てみると、ここの河原は犬やら鶏やらなんだかわけのわからない干からびた糞だらけであり、寝そべって日光浴しているフランス映画連中は、乾いた糞まみれになっている可能性が高いことも付記しておきたい。
若手の出版ストラテジー
幸か不幸か、家に一人でいると考える時間がたくさんある。
社会学は、本の出版をメインにする人と、論文の出版をメインにする人が混在している。わたしは質的調査方法をやっていて、本を書きたいと考えている。
わたしのような若手の場合、英語圏のちゃんとした大学出版局から博論を基にした本を出す場合、本と同じ内容で2本以上論文を出してはいけない、ということが一般論としていわれている(本の70%以上がオリジナルな内容でないといけないため、らしい)。
このルールの解釈は人それぞれで、「全然関係なく出しちゃっても問題ない」という人もいたりするのだが、同じテーマで論文を乱発するのもいいこととは限らないし、とりあえず2本ルールに従っておいた方が無難だろう。
この2本ルールを守ると仮定すると、今博論から準備中の論文2本が近いうちに手を離れると、少なくとも本が出るまでは、本の原稿に関連するテーマの論文は書かない方がよい、ということになる。とはいえ、論文は継続して書いていかないといけない。この間、本の原稿+副業的な研究だけになってしまうので、次の研究を準備しないと、1、2年後くらいに「書くものが何もない!」という状況に陥る気がする。
アメリカ社会学の質的研究の場合、王道のやり方は、1本か2本博論から良い論文を出して、あとはちょこちょこ共著とか副業的研究をしながら、テニュア審査の前に少なくとも本の契約まで進め、卒業後5〜10年以内くらいに本を出版する、というやつだろうが、トップスクールPh.D.でもないわたしが、そんなに悠長なことをやっていていいのだろうか、という疑念がわく。また、テーマ的にも博論の研究はなるべく早く出した方が良いので、本は比較的早く出したい。
ということで、ここ半年くらい次にやりたい研究を考えている。ましてや、コロナで暇なこともあって、考えざるを得ない。しかし、正直、今やっている博論の研究もまだ全然終わった感がないので、思い切って新しい研究を始めるのもなかなか難しい。このへん、先輩たちがどういうストラテジーを考えていたのか聞いてみたいところである。アドバイス等あれば教えてください。
そういえば先日雪が降った。4月なのに…。 |
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