真冬到来、パイプ事件、大家さんの凡庸なレイシズム

真冬到来

また更新が怠ってしまった。論文をボチボチ書いたり、本の原稿をやったりしています。論文もいつもノロノロとしか進まないので、ルームメイトのT君のように同時に7本とか論文を書いている、論文生産マシーンの人たちはどういう生活をしているのか謎。

ボストンは本格的な冬到来。この数日は吹雪である。



今週末はサンクスギビングだった。心優しい先生の家でターキーをご馳走になり、週末はニューヨークでハワイ時代の友達軍団と遊んできた。



例によって、初日に明け方まで飲んでしまい、残りの日程は非常に具合が悪かったが、久々に色々と話せて楽しかった。



ニューヨークはケンブリッジと違って美味しいモノがいっぱいある。

ニューヨークからの帰りはバスだったのだが、アメリカ人が一年で最も移動するサンクスギビングの週末の帰宅ラッシュと、今年初の大雪が重なって高速はサバイバルレースさながら。そこら中に身動きがとれなくなった車が転がっていて、普段は4時間ほどの道が7時間かかった。

そういえば、先日、雪が降る中ボストン空港の近くでサーフィンもした。楽しかったが、氷点下の屋外での着替えは命の危険を感じた。



笑っているように見えるが、寒さで痙攣中。

パイプ事件

また、家のシャワーの配水管が詰まるという事件があった。まず、同居の中国系アメリカ人大家さんがワイヤでつまりを直すマシンを買ってきたのだが、解決せず。



こういうやつ。

翌日、大家さんが呼んだパイプの業者がさらに大型のマシンを持ってやってきて、水が流れるようになり、一件落着。

したかのように見えたのだが、実はこの人のマシンがパイプを破壊し、下の階が水浸しになっていた。

大家さんは激怒していたが、この過程で、この家は築115年で、最後にパイプを交換したのは1950年代という事実が発覚。そりゃあ壊れるはず。

2日間風呂が使えず、毎日朝大学のジムにいってシャワーを浴びるという悲惨な生活であった。

実は、パイプが壊れる前の週から、寒くて外に行けないので夜寝る前に家の近くの雑貨屋で買った謎の小庭キットを作って遊んでいた。



当然、石灰などは詰まるので排水に流さないように気をつけていたのだが、絵の具を排水に流していた。

元来心配性のわたしは、「詰まった排水パイプを分解したところ大量の絵の具が発見され、責任を追及されたらどうしよう…」、「保険がきかなかったら修理に100万くらいかかるんじゃないか…」と、ありえないシナリオばかりが頭をよぎり、夜も寝られなかったのであった。



パイプ事件で疑われないように、押し入れの奥にしまっていたので、製作中断中。

結局、絵の具は発見されず、胸をなで下ろした。

大家さんの凡庸なレイシズム

中国系アメリカ人の大家さんは、下水道屋にブチ切れたり、下の階に住んでいるハーバードの先生が水の元栓を開けるのを忘れただけで「若年性痴呆症」と罵ったりと、明らかにクレイジーではある。

ただ、良い人か悪い人かで言えば、良い人である。

日頃から料理を多めに作って分けてくれたり、「明日は道が凍るから滑らないように」とか、「そんな服じゃ冬を越せないから早く買いに行きなさい」とか色々と心配して世話を焼いてくれたりと、親切な人である。

しかし、レイシストなのである。

たまに家に帰ってくると、「○○人の臭さ」についてルームメイトのT君に力説したりしていて閉口してしまう。そういうときは、巻き込まれないように、ソソーッと静かに部屋に引きこもるのだが、どうしたものか困ってしまう。

今も、大家さんの友達のポルトガル人のおっさんがなぜが居候しているのだが、そいつもわたしたちのことを「よう、東洋人たち!」と呼んでくる。悪気はないのだが、なんだかレベルがすごい。

広義に考えると、こうしたレイシスト発言を見て見ぬふりをすること自体、問題である。

しかし、この家の家賃はこの辺の相場より安い。また、他の家の家賃はとても払えないことから、この年度の半ばで喧嘩になったり、ましてや追い出されて住むところがなくなっては非常に困る、という権力関係もあるため、とりあえずやり過ごすしかない、という結論に落ち着いてしまう。

Twitterなどでしばしば炎上している、極端なレイシスト発言というのはわかりやすいし、知らない人なので断罪するのが比較的簡単である。

けれども、身の回りにいる人が同じくらいひどいことを言っているという、凡庸なレイシズムに出くわすことも多い。

こういうとき、「なにを言ってんだ」と、ビシッと言ってやれればいいし、そうすべきなのだが、その人が「いい人」(定義上レイシストがいい人であるハズがない、という人もいるかもしれないが)であったり、利害関係があるのでなにも言えない、というような状況が一番困るし、その上、結構ありふれたシチュエーションなのではないかという気がしている。

もしかしたら、普段言えない人が多いからこそ、Twitterなどにあからさまなレイシストが現れると、ここぞとばかりに公開処刑が起こるのかもしれないが。

『大家さんと僕』というマンガが流行っていたが、わたしの日常からすると、挨拶が「ごきげんよう」という、上品で無害な高齢女性の大家さんとのほっこり生活、というのはまさにピュアなファンタジーの世界。だから人気が出るんだろうな、とも思った。

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