一行日記10月①セーラムに行った話、アメリカの大学にはびこる運動中毒の闇など

日本は台風で大変でしたね。僕が子どもの頃から高校生まで住んでいた伊豆も台風が直撃したということで、どうなっているのか心配。


最近のあれこれ



わたしは最近も変わりなく毎日オフィスに通っている。週に一度は休みたいけれど、休んでも車がないので自然等にいけないのが最近の悩み。平日は車が必要ないけれど、車がないと街の外にいけないという微妙な立地のせいで、週末はまったくレンタカーも空いていない。

特に変わったこともないので、何があったのかよく覚えていない。写真でごまかそうと思う。

スーパーはどこもハロウィンムード。なんとなくカボチャ味を買い、あとから「カボチャ味ってなに…?」と後悔する、の繰り返し。



サンドイッチは本当に飽きた!

たまにオフィス近くのやさぐれ中華料理店に行くようになったが、一人なのに円卓に通される、という辱めをしばしばうけている。わざわざ「一人だよ!」と強調するのもバカらしいので言われるがまま。

横山剣が「お客さん何名様ですか?見ればわかるだろ、一人だよ〜♫」と、歌っていたが、まさにその境地。


ハーバードスクエアの牛角に行ったら、デザートにスモアが出てきて楽しかった。

「牛角なんて10年くらい行ってないんじゃないかな〜」とか言っていたが、考えてみたら行ったことがあるような気がするだけで、人生で一度も行ったことなかったんじゃないか。

日本でもスモア出てくるんですか?

セーラムに行った

昨日はコロンバス・デイという祝日で休みだったので(コロンバスの新大陸発見にちなんでいるのだが、勝手に「発見」された人たちからすれば迷惑この上ない話である。マサチューセッツ州は進歩的なので、先住民の日と言う)、魔女狩りで有名なセーラムに行ってきた。


天気が悪いことが多いのでもの悲しい風景が多い。

アメリカ建国当初、セーラムは中国との陶磁器の輸入による関税収入で、全米のGDPの10%ほどを稼ぐアメリカで一番豊かな街だったそう(出典:フェリーのおじさん)。

アジア人も多い大学のまわりと違って、フェリーの中は白人観光客だらけで疎外感。朝からみんな安ビール飲んでるし。

観光客のおじさんはむやみやたらに昼酒しがち、というのは日本もアメリカも一緒なんだな、と、また一つ学びを得た。



最近新装したばかりというピーボディ・エセックス美術館も良かった。入ってすぐのところに、この美術館は先住民の人たちの土地の上に立っていますということが書いてあって、当たり前のことなのかもしれないが進歩感を感じた。




アメリカの大学にはびこる運動中毒の闇

話は変わるが、アメリカの大学には、学生も職員も、なにかに取り憑かれたかのように毎日運動をしている人が多い。

ハワイもひどかったが、ボストンもすごい。

毎日、朝から晩まで、歩道を走ったり、ピョンピョンしたり、鉄の塊を振り回したり、やりたい放題の傍若無人な運動中毒者たち。

街にこんなに中毒者が溢れているかと思うと、そしてまわりのあの人や、あの人も中毒になっているのかと思うと、怖くて夜も眠れない(嘘)。

しかし、運動中毒になっている大学人は、「タバコだ、酒だ、スマホ中毒だ、と中毒カテゴリーを量産して人の健康を憂う前に、自分の運動依存を見直したほうがいいんじゃないか」と思うことがあるのは事実である。

ランニング、ヨガ、トレッドミル、筋トレ、自転車、ボート等々、やることの中身は様々だが、これまで数年間の観察によって、大学には運動することが中毒化している人が相当数いることが明らかになっている。

しばしば聞く、「運動をしたあとは、常にいい気持ちになれる」というのは完全に中毒者の理屈だし、やっている当人たちからも「やらずにはいられない」、「ジムに行かないとムズムズする」などの証言を得ている。

さらには、自分でもさすがに運動しすぎだと考えている人もいる。まさに中毒。

これを読んで、自分は運動中毒ではないと思った人ほど危険である。否認こそ中毒の症状だから。

ある種のことは、少しやっただけで中毒扱いされるのに、他のことはいくらやっても中毒とは思われないのは理不尽。運動もやり過ぎると体に悪いに決まっているのだが。特に筋トレは。



オフィスメイトのイギリス人、L君の目にも奇異に写るようで、先日、「ここの人は、狂ったように運動してるな」という話になった。

2人の同意を持って「大学人には運動中毒が多い」という事実がここに証明された。

しかし、なぜなのだろうか?
  • L君いわく、イギリスでは、アメリカのようなデカいサンドイッチを食べないので運動する必要性が低い。食べ物のサイズが関係あるのかどうかはわからないが、日頃から大学の外でものすごく不健康そうな人を見る機会が頻繁にあるため、「運動しないと自分もああなるかもしれない」という恐怖感に結びつく、ということは容易に想像できる。
  • アメリカの大学は、学部生を集めるためにジムなどにお金をかける傾向にあるので、タダもしくは安価で、ちゃんとした運動施設を使える。
  • まわりの人が運動しているので、自分も何かしないといけないという気になる。ピアープレッシャーというやつ。
  • 引き締まった体をしているのが、ステータス・シンボル。
  • 大学は、教員、大学院生、学生ともに常に上からの評価が大切で、なおかつ、自分と同じランクの人が何をしているか、自分は何ができていないか、明示的に見えてしまうため、大学は結構ストレスフルな環境。そこに、時間が比較的自由になるという環境が加わると、運動に限らず中毒者を育てやすい環境だと考えられる。運動中毒はお金もかからないし、むしろ、いいことをしているという気にすらなれる。
  • 中でも一番有力な仮説は、運動中毒者には、心の中で「なんかヒマだな」という感覚を持っている人が多いのではないか、というやつである。ここでいう「ヒマ」とは精神的ヒマであって時間的ヒマではない。どんなに忙しくても、毎日同じ場所で、同じことを、多かれ少なかれ同じような人とするから、心に飽きが生じるのである。生活に飽きを感じられること自体、ある種の特権だが。そんなとき、最も建設的なprocrastinationが運動である(procrastinationについては、こちらを参照)。
なぜ、このように多くの仮説を思いつけるかというと、わたし自身が運動中毒気味だから。

最近、膝が痛い。中毒症状の進行には気をつけたい。

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