2016年に読んだ本ベスト10

今日が今年最後の日である。今年も恥ずかしながら趣味で読んだ本ベスト10をやりたい。言い訳になってしまうが今年はいろいろと忙しくてあまり冊数を読めなかったので、5位ぐらいまでは簡単に決まったのだが、6-10位と選外の本は結構同じような感動レベルだったので決めるのが難しかった。


すごい本である。映画化もされた『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』の著者ジョナサン・サフラン・フォアが書いた初のノンフィクション。著者はなぜ動物を殺して食べるのかという倫理的問いにこどもの頃から悩まされてきて、自分のこどもが生まれるのを機にこの問題に真剣に取り組んだ。読みやすく書けていて、こんな風に書ける人が羨ましい。


我々が食べている肉というのは信じられないくらい残酷な過程をへて食卓に並ぶ。95%以上の牛・豚・鳥は工場型の農場で動くことができないほど狭い空間にぎゅうぎゅうに押し込まれ、無理やり餌を投与され続け、抗生物質づけにされたあと(アメリカでは1年に人間にたいして300万ポンドの抗生物質が使われているが、家畜動物には1,780万ポンド使われている)、暴れないように(例えばトラックの天井から逆さ吊りにされて)屠殺工場へ運ばれ、多くは意識がある状態で殺される。アメリカ人の半数以上が犬や猫などをペットとして愛しているのに、犬・猫より知能の高い動物にこれほど残虐なことをしても気にならない我々の社会はどこかおかしい。


単に倫理的観点だけだなく、我々が食べている肉は多くの社会的リスクとコストの上になりたっている。たとえば、鳥は水を吸わせて重さを増やすためにわざと鳥の糞尿と内臓を洗ったあとの汚染水、通称Shit Soupにつけたあとで出荷される。危険。食肉を育てるために大量の穀物も使われている。地球上に
飢えている人たちがいるのに年間1億トンの穀物とコーンがエタノールガスをつくるために使われていることを国連は「人類に対する犯罪」と糾弾したが、食肉をつくるために年間7億5千万トンのコーンが使われている。これは世界中の飢餓人口が満腹まで食べることのできる量である。我々は肉を食いすぎである。


この本は、アメリカを代表するフード・ジャーナリストでUCバークレーでジャーナリズムを教えているマイケル・ポーランが書いた『雑食動物のジレンマ──ある4つの食事の自然史』へのカウンターとして書かれていると思う。ポーランは工場式畜産と肉を食べる倫理的問題を認識しつつ、それでも食文化のために必要最低限の肉を食べることは正当化されるという論を展開していて、この中途半端さをジョナサン・サフラン・フォアは批判している。この点は、倫理的な農園を経営することに生涯をかけている人のこんにち誰が奴隷制を「半分」だけ支持できる?」というコメントによく表れている。


「肉を食べることは『自然』かもしれないが、人間社会の道徳的進歩はかつて『自然』だったことの否定に特徴づけられてきた。(公民権運動以前のアメリカで)南部の人間のほとんどが奴隷制を支持していたからといって奴隷制が道徳的であるということにはならない。」(英語版 p.213)

英語版しかよんでないので、日本語版でも著者のユーモアのセンスが伝わっているか謎である。日本語版タイトルに関しても、アマゾンのレビューでも指摘している人がいるが、著者が問うているのは単にアメリカ工場式畜産の問題だけではなくて人間が動物を食べることの倫理的問題そのものであり、著者の問いの深さと広さをきちんと伝えていないように思う。僕もこの本を読んで影響を受け、ハワイではなるべく肉を食べないようにしていたのだが、アジアに旅行に来てからどこに行っても出てくるので肉食いまくりである。倫理的に生きるのは難しい。


この本は人類にとって重要な、特に世界有数の高齢化社会に生きるわれわれにとって意味ある問いに挑んでいる。著者のアトゥール・ガワンデはハーバード大学病院に勤める外科医で、自身の体験をもとにしたニューヨーカー紙などへの寄稿で有名になった。人類は生きることを目的として医療を発展させ、その結果実際に長く生きられるようになった。しかし、われわれの医療はどのように死ぬべきかという問いをあまりにも無視しすぎだ!という医者からの告発は新鮮。


とてつもなく大きな問題を取り扱っているのだが、自身の外科医としての、また家族の死など個人的体験を通して上手に語っているので読み飽きない。例えば、自らの父親の話もしている。インドから出てきてオハイオで外科医として開業、成功し、インドの地元に大学までつくった著者の父が脳腫瘍になり、すこしずつ体が衰え、痛みに悩まされそして仕事を辞める。その中でどのように死までの経験をよりよいものにすることができるかという葛藤が外科医として、そして家族としての視点から描かれている。


尊厳を持って生き、死ぬのは難問だ。意志なくベッドに横たわっているだけでは、生きている楽しみよりも苦痛のが多そうだが、医療を拒否して死んでいくことも簡単な答えではないだろう。人間生活の難問に真剣に挑んだ力作。



アメリカ含め各国でベストセラーになった。著者はスタンフォード卒で人間が生きる意味に興味を持ち、ケンブリッジで哲学と文学を勉強、生の問題に取り組むためには医療をやらないとだめだということでイエールの医学部を卒業したというザ・エリート。スタンフォード大学病院でガン専門の脳神経科医としての研修生期間をやっと終え、大きな賞もとり、スタンフォードが自分のためにポジションをつくってくれるという、過去十数年の努力が報われこれから明るいキャリアが待ち受けているというまさにそのタイミングで末期ガンが見つかる。本書はそこから著者が死ぬまでに書かれた。


この本は単なる日記ではない。著者の
教養がにじみでた感じのものすごく美しくて読みやすい文章で、アメリカのエリートにはすごい人がいるなーと思わされる。原書タイトルはたぶんカール・マルクスの有名なフレーズからの引用だと思うのだけど、それを全く無視した日本語版タイトルはなんかダサい。

エリートがある日を境に自分の人生をコントロールできない弱者になってしまったことへの苦悩や、自分がガン専門医であるだけに自分の症状の深刻さが手に取るようにわかってしまう残酷さなどが正直に書かれている。そのような状況で著者も鬱になる。しかし最終的には、死を待つのではなく、積極的に生きようとする著者の努力が本書を面白くしている。ガンでもないのにくよくよしてたまに半死状態になっている僕のような人間は
こういう姿勢から学ぶべき。


4. こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち
渡辺 一史

著者の渡辺 一史さんは北海道をベースにするフリーライターで、たまたま筋ジストロフィー患者鹿野靖明さんと彼を支えるボランティアの人たちの生活を取材することになる。10年ぐらいにわたる自身のボランティアとしての関わりを描いたこの本で、著者は講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞という日本の2大ノンフィクション賞を同時受賞した。


体を動かすことができず、最終的には呼吸など最も基本的な身体機能を維持するだけの筋力がなくなり死に至るという難病筋ジストロフィー症の患者は一生病院で管理されながら死を待つのが普通だった。ケア付き住宅での障害者の自立生活を目指し、その常識に一石を投じる努力をしたのが主人公の鹿野さん。常に付き添いでの介護がなければ生きていけないため、ものすごい人数のボランティアーを集めて教育、シフトをつくってまとめるという作業を一生続けた鹿野さんはすごい。


この本は「障害者ポルノ」©NHKに陥らずに、鹿野さんやボランティアーの人々の人間らしい葛藤が描いている。たとえばタイトルになっている「こんな夜更けにバナナかよ」というのは夜中に眠いのに何度も起こされてバナナを食わせろと鹿野さんから指図されたボランティアのぼやきである。


著者が書き手の権力を使って勝手に主人公の視点を代弁したり第三者という鳥瞰的視点から物語をつくるのではなく(人類学でも最近はそういう書き方をしないらしいが、未だにノンフィクションでは結構ある)、あくまで著者である渡辺さんの目にうつった世界を記述するという謙虚な書き方もいい。全部読んだ後すごい本を読んだという気になる本である。著者の次の作品である『北の無人駅から』もすごくよかった。

吉川 浩満

進化論の学説史を一般読者向けにまとめた本なのだが特に僕のような素人にはめちゃくちゃおもしろい。難しいテーマだが、ユーモアあふれる文章で簡潔にわかりやすく書かれているのでつまらずに読める。


われわれは「弱肉強食」とか「適者生存」とかダメな個体は淘汰されるという進化論的アイデアが大好きである。しかし、我々が進化論と考えているものと実際の進化プロセスそして現在の学術界における進化論論争にはものすごく大きなギャップがあるというのが著者の主張の一つ。


我々は進化論というと最強の遺伝子が自然淘汰の結果生き残り、適した種だけが勝ち残るという風に考えがちだが、実際の淘汰プロセスというのはもっと残酷らしい。そして現在の進化論はその理不尽さを組み入れているという。これまでに誕生した種の99%以上がすでに絶滅し、現存している種も単に今まだ絶滅していないだけで今後絶滅するのだそうだ。つまり例外的にダメな種が滅びるのではなく、絶滅が普通で極端に運のよかった種だけが残っていることになる。


この絶滅の物語が「理不尽」なのはそれらの種が適応力不足で滅んでいったのではなく、単に運が悪かったためいなくなったからである。著者は恐竜類がいかに地球環境の変化によって絶滅したかというような例を使って説明するが、絶滅種は悪い時に悪い場所にたまたまいたのだ


自然界における競争においてさえ生存の可能性というのは単なる個体の能力の問題ではなく、圧倒的多数は運が悪くて滅んでいく。ましてや、それをレトリックに使っているだけの人間社会においては、純粋な競争に基づく「適者生存」なんてナイーブな幻想だと思わされる。


タネヒシ・コーテス

2016年もルイジアナ州バトン・ルージュとミネソタ州ファルコン・ハイツで2日連続で罪のない若者が射殺され、警察の暴力は相変わらずひどかった。ファーガソンでマイケル・ブラウンを殺した警察官も結局は起訴されなかった。アリシア・キーズやビヨンセらが今年アップロードしたあなたがアメリカの黒人だったら殺される23の理由というビデオにあるが、車線変更の際にウインカーを出さなかったとか、通勤列車にのっていたとか普通の行動をしているだけで黒人は殺されている。


この本の中で、タネヒシ・コーテスは黒人の犠牲の上に成立した白人の国であるアメリカで、黒人の肉体を生きることの意味を当時15歳の自分の息子に語りかける。話はアメリカ史における黒人への差別と自分の人生の回想録とがパラレルに進むように書かれていて、マイケル・ブラウンを殺した警察官が不起訴になったその夜にクライマックスをむかえる。詩的な表現で書いてあって文章がとにかく美しい。まだ英語版しかでていないのでこのリストに含めるか迷ったけど、全米図書賞を受賞したりピュリッツァー賞の最終候補になったりしているので、おそらくそう遠くないうちに翻訳されるのではないかと思う。


タネヒシ・コーテスはニューヨーク在住でアトランティックやニューヨーク・タイムズなどに寄稿しているライターで、2014年にアトランティックに書いたThe Case for Reparationsという記事が特に有名。


7. ナツコ 沖縄密貿易の女王 
奥野修司

戦争で荒廃させられた沖縄の復興の話。密貿易の女王と呼ばれたナツコさんに焦点をあて、彼女の生涯と日本とアメリカに翻弄された沖縄の戦後を描いている。日本の統治下でもアメリカ占領下でも見捨てられていた沖縄は台湾との密貿易で生き延びた。その中でリーダーシップと商才を発揮して密貿易を仕切ったナツコさんとまわりのひとびとのたくましい生き様が描かれている。


9 番の角幡さんの本でもよくその話がでてくるが、日本本土が高度経済成長を満喫していた頃も沖縄は取り残され、不発弾から爆薬を採取して海中で爆発させる危険なダイナマイト漁をやってしょっちゅう死人をだしていた。著者は日本からもアメリカからも気にかけられていなかったこの時代が沖縄がもっとも自立して輝いていた時代ではないかという。今日もまだ支配が続いていて、自分も沖縄に基地と貧困を押しつけている側の一人であることをこの本は認識させる。

岸政彦

意味不明な本。この本はタイトルに社会学がはいっていて、僕が勉強しているのも社会学なので関係あるはずなのだが、この本がいう社会学は僕が習ってきた社会学とはあまりに違いすぎるので趣味本。僕が習ってきた西洋の社会学はいろいろな派閥があれども基本的には人間生活を体系的に理解しようという試みである。人間生活の理論を目指しているから、断片的なもの、解釈できないものは僕の習ってきた社会学では社会学とみなされないのである。


著者の岸政彦さんは日本の社会学では結構はやっているっぽい。この本で紀伊國屋じんぶん大賞をとった。沖縄から大阪への集団出稼ぎ労働の聞き取り調査などやっていてその本もおもしろかった。最近小説デビューしてデビュー作で芥川賞にノミネートされているとのこと。


最初に出てくるのは岸さんが沖縄のある人の家でインタビュー調査中にその家の犬が死んでいたという話である。これ自身は単なる偶然としかいいようのない、社会学的には無意味な出来事である。しかし、そういうことのほうがなぜか記憶に強く残るのだという。これはわれわれの日常生活に照らしてみてもおなじことが言える気がする。世の中は解釈不可能な出来事であふれていて、全く意味がわからないのに強く記憶に残ったりする。

主張もなければ強い物語もないが、なぜか読んでいるととまらなくなり、読んだ後も思い出してしまう。意味不明だけどおもしろい。岸さんは解釈できないものをそのまま語りとして提示しているというが、実際には断片的な情報というのは本当に意味不明なので、それらの情報を意味不明な語りとして文脈の中に位置づけ、提示しているのは著者の岸さんだ。だからこれは岸さんが社会学的には使えないと思った語りを集めて意味づけしようとした本である。なぜおもしろいのかわからないけどすごくおもしろいという、意味不明で不思議な本である。


9. 漂流
角幡 唯介 

沖縄のマグロ漁師本村実の足跡を追った長編ノンフィクション。本村は1994年に整備不足のおんぼろ船で操業中に遭難し、34日の漂流の後に奇跡的に助かるものの、その8年後にまた漁に出てそのまま姿を消してしまったという奇異な人物である。登山や冒険について書いてきた角幡さんが自分以外の冒険をジャーナリストの立場から書いた初の長編でもある。長くて途中飽きてくる感じもないではないのだが、私は人が遭難して苦労する話が大好きなのでこれはベスト10に入らざるを得ない。


本村さんは最初の漂流中に自分の船の船員のフィリピン人たちに食われそうになったらしく、角幡さんはその点に異常な興味を持ち、本当に船員たちは本村さんを食おうとしていたのかを執拗に追いかけるのである。そりゃこの人のせいで遭難したんだし、一人だけ日本人だし、餓死に近い状態じゃそうなるだろと思うんだが。話の全体としてはやはりナツコの話と同じく沖縄の復興史と海洋民気質がおもしろい。戦後、食べるために太平洋中に散っていった沖縄のマグロ漁師たちのたくましさはすごい。また、常に死を隣り合わせに生きている海洋民の心性みたいなものをに迫ろうとしており、本当に海洋民族独特のメンタリティなるものがあるのかとか考えさせられる。


10. 黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実

リチャード ロイド パリー

今年の一番はじめに父にお勧めされたので細かい内容は忘れているが、読んだときすごい本だと思った。イギリスのタイムズの東京支局長である著者が10年以上にわたる取材でルーシー・ブラックマンさん殺人事件を詳細に記録している。長期にわたる細かい取材によって状況を整理していき今まで明らかになっていなかったことを明らかにしているザ・ノンフィクション。

他にも数十件から数百件の同様の薬を使った性犯罪をして中には殺人事件も起こしていたり、醜いひとが苦しむのを見るのが好きだと言ってみたりと、ここで事細かに明らかにされる犯人の変態性というか異常性が本当に気持ち悪い。世の中にはやばいやつがいるな‥.という感じである。同時に被害者遺族も被告からもらったお金で高級ヨットを買ったとかいろいろと人間の醜いところがでてくる。


と、めちゃくちゃ長くなってしまった。みなさんよいお年を!

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