韓国に行く。そして何もない部屋で隔離される

8月にブログを更新してからまた2ヶ月も経ってしまった。

その間、論文を書いたり、オンライン形式で授業をしていたりしたのだが、実家に3ヶ月以上もいると

  • 平日は近所のガストに出勤(ガストに開店と同時に入ってまずい朝飯を食べた後、研究活動をすることの通称)
  • 犬と遊ぶ+家でまったり
  • 週末になるとT君と遊ぶ

というダラダラ生活が完成してしまい、ブログが非常におろそかになってしまった。

今年の夏はだいぶ犬遊びした

新しい学校での授業からは色々と学んでいる途中なので、それについてはまた別に書きたい。大学自体は小さくないのだが、小さな学部の所属なので、学部・大学院ともに今までに経験がないレベルの少人数授業をしており、色々と新鮮で学びが多い。

ともあれ、待つこと数ヶ月、やっと韓国にこれました!

ビザがおりるまで

時を戻そう(ぺこぱというお笑い芸人が面白い、という学びを今回の日本滞在から得た)。

わたしは6月にアメリカ・ボストンでの自宅軟禁生活を脱出し、東京にある実家に身を隠し、のんびり生活を始めた。

8月の中旬にはソウルに行き、9月からの新学期に備えるはずだったのだが、いろいろと書類のためにやらなければいけないことがあり、8月初旬に東京の韓国大使館にビザ申請に行った。

大使館のホームページには、申請後3日で受領可と書いてあったのだが、窓口で「今なら1ヶ月はかかりますね」といわれ、仰天したのだった。

1ヶ月半を過ぎても何の音沙汰もなく、大使館に電話をかけても役に立つ情報はない。

「もう今学期はずっとオンラインかな」と、なかばあきらめていた10月初め、いつも通り実家の近所のガストに出勤し、なんとなく韓国ビザのポータルサイトを見た。

すると、「審査中」だったのが「許可」になっていた。

昨年の夏は、アメリカのOPTという学生ビザの延長がいつまでたってもおりなくて、給料がもらえなくて生活費が尽きるんじゃないかと気をもんでいた。

今年の夏は韓国ビザを待っていたら終わった(ちなみに、韓国の大学からはまだ給料をもらえていない)。

外国人でいるのも大変である。

ともあれ、数日前にやっと韓国に来ることが出来た。

韓国入国

韓国では、現在でも基本的に入国者は2週間の隔離生活を送らなければならない。短期ビザの人は、基本的に政府が用意したホテルで、おおよそ一日最大1万5千円程度を払って2週間過ごすらしい。

長期ビザの人や韓国パスポートの人は自宅で過ごしても良いらしいのだが、わたしの場合、自宅といっても、まだ見知らぬ教員住宅。

わたしもホテルで過ごしたい。

しかし、大学はホテル代を払ってくれないそう。隔離期間中は教員住宅で過ごすように、そして買い物や食事の手配は学部でアシスタントとして働いている大学院生にしてもらうように言われた。「えー?」と思ったが、そこは立場の弱い外国人新任教員。

ぐっとこらえて「はい、よろこんで!」の精神である。

まぁ、教員住宅には生活に必要なアイテムは基本あるんだろ、と思い、あまり心配せずに来た。

入国の際に、専用のアプリをダウンロードするのと、韓国でつながる電話番号が必要なのだが、日本では私の知る限り、韓国の電話番号つきのSIMを買うことはできないので、韓国にいる人の番号を貸りるしかない。大学院生のA君が迎えに来てくれたのだが、彼が親切にも電話番号を貸してくれた。

防疫という名目で豪華タクシーにのせてもらった

そして、防疫タクシーで教員住宅に向かったのであった。

何もない部屋で隔離される

「ソウル、久しぶりだな〜、夕方の渋滞もいつも通りだな〜」と夕暮れの車窓を眺めながら感慨に浸っているうちに宿舎に到着。

部屋に入って仰天。

さすがにちょっとこれは使えないんじゃないか…というボロボロの家具以外、何もないのである。調理器具も電子レンジもないし、これには参った。

ボロボロ家具しかない部屋。家具は外に出しました。

いざという時のために、カップラーメンとかカレーを少し買ってきたのだが、考えてみると箸とかフォークとか何もない。というか、お湯を沸かす手段がない。30歳になってもこんな生活。

落ち込んでいても仕方ないので、その日はA君が買ってきてくれたハンバーグを食べて、バスタオルをしいたマットレスで寝た。

ハンバーグ食べられて良かった。美味しかった。

これが自己隔離者の寝具。今日、ようやく布団セットが届きました。

翌日は、タクシーが迎えに来てくれて朝から近くの保健所にPCR検査を受けに行った。

検査中も待っていてくれて往復20,000ウォン(約2,000円)という決まりらしい。以前、羽田でも一回やって結構苦しかったが、今回は検査棒をめちゃくちゃ押し込まれて、鼻から直接喉まで貫通するのではないかと思った。

陰性でした。

帰宅。さすがに毎日、大学院生のA君たちを煩わせるのは忍びなさ過ぎるので、なんとか生活できるように食材や調理器具、家具を調達しないと。

なぜか人の優しさに感謝

7年前にハワイに移ったとき、3年前に韓国に来たとき、昨年のボストンなど、何もないところに来て生活を始めるのはここ数年で何度かやったので、「まぁ大丈夫だろう」とたかをくくっていたが、外出できないというのは、ちょっと違うレベルである。

色々とそろうまで外食でいいや、というわけにもいかないし、無いものを買いに行くこともできない。

知り合いの韓国の人や先生が、行く前に心配して便利なオンラインショッピングサイトや、その使い方を教えてくれたのだが、この情報が役に立った。

お世話になりまくりの某スーパーの安いブランド。「エブリデイ国民価格」という名前が面白いと思ったが、考えてみると日本の「トップバリュ」とかも名前として意味不明である。

同時に、携帯電話は本当にライフラインなのだなということを痛感。携帯電話番号がないと、認証ができないので、ほとんど全てのショッピングサイトが使えない。宅配が発達している韓国なのであるが、電話番号がないと、出前も頼めない。

さらに、電子決済システムが独自発展しているので、普通のVisaやMasterといったカードが使えないサイトが多いことを発見。窓の下には銀行もコンビニもあって、降りていけば銀行口座も電話番号もすぐゲットできるだけに(そしてわたしは一応陰性らしいだけに)、忸怩たる思いである。


結局、優しい友達が電話番号を貸してくれて本当に助かった。

A君も仕事とはいえ、文句も言わずに買い物をしてきてくれる。

自分では何も出来ない状況におかれ、人の優しさに感謝するのであった。あまりに凡庸な結論だが、事実、他の人の助けなしでは生活が出来ないんだから仕方ない。

今日で隔離5日目だが、隔離期間が終わるまでの2週間、ゴミを部屋に貯めておかないといけないらしい(実は、PCR検査の時にもらったパンフレットを先ほど読んではじめて知った)。


本当にボロい家で、トイレを流すと工事現場のような謎の爆音がする、冷凍庫が効かなくなってきた、などなど課題は多いが、色々普段出来ない体験ができて勉強になる、と思うことにします。

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