1年間のポスドク生活で楽しかったこと・難しかったこと
日本に帰ってきてからはや2ヶ月がたってしまった。
この間、ブログを書かないといけないと思いつつ、例によってすっかり怠ってしまっていた。まぁ毎日のんびりしているだけなので、おもしろい事件も少ない。加えて、どこに行ったとか、誰に会ったとかおいそれとインターネット上で書けない社会の雰囲気をひしひしと感じ、なんとなくSNSやブログから縁遠くなっている。
また生存報告日記も書きたいが、その前に今日は1年間のポスドク生活を振り返りたい。
ポスドク生活で楽しかったこと
去年の夏にハワイ大でPh.D.を終えて、この1年間は、ハーバード大学でポスドクとしてお世話になった。
今まで会ったことのない人たちに会えて、発表して研究にコメントをもらったり、新しい研究に誘ってもらったり、本の原稿のワークショップを開いてもらったり、恵まれた1年間だった。
1年間、日本研究という地域研究者のコミュニティの中で過ごし、社会学よりも居心地が良い部分と、考え方が違う部分について、色々と考える機会もあった。
自分みたいなのでも一応、社会学の世界の末端には属しているんだな、とか、同時にいわゆる地域研究っぽいことをやっていても卑屈になる必要はないな(社会学でアメリカ以外、さらにいわゆる統計以外の手法を使った研究だと、ものすごく疎外感を感じる…)、などなど、アイデンティティを再確認する機会になった。
一番勉強になったのは、お世話になった先生たちから、目標を高く持つように、そして時間がかかっても良いから、掲載が難しい雑誌から出版するように、励ましてもらったことかなと思う。当たり前ではあるが、いいアイディアを持っていることと、一生懸命働くことが大事だそうだ。
学術雑誌などのランキング偏重というのも、もちろん問題である。それに、いい雑誌に出した方がいいというのはなんとも当たり前の話。それらをひとまず置いておくと、ハワイ大学時代には、「お前でも頑張ってやればすごく良い雑誌からも出せるよ」という風に言われた記憶がないし、まわりの大学院生たちもそういう風に考えているようには見えなかったので、「そうか、わたしでもやれば出来るのか…」と、思えたのが、単純に新鮮だった。
我ながら口憚られる陳腐発言炸裂だが、目標が高いって大事だなと思った。
ハーバードのようないわゆる名門大学と、それ以外の大学(たとえばハワイ大とか…)の差は、名門大学の方がお金に余裕があるとか、研究などへの制度的サポートが充実しているといったリソースの量の差に目が行きがちである。けれど、個人的には、ハワイ大学の方が研究がやりづらいとは感じなかった。もちろん、ハーバードはものすごく恵まれている環境ではあるけれど。
それよりも、どういう目標を持っている人たちがまわりにいるか、どういう目標を設定するのがその環境における「当たり前」なのか、という部分に一番大きな差を感じた。
ポスドク生活で難しかったこと
一方で、「出版しなきゃ、出版しなきゃ」というプレッシャーで気が焦るものの、なかなか思うように行動が伴わず、また、ボストンは天気がとにかく悪い(!)こともあって気が滅入りがちでもあった。
ハワイを離れるときに、お世話になっている先生から「どれだけ書いて、出版されたかだけが自分がどれだけ働いたかの指標だから、どれだけ読んだか・勉強したか、など副次的な重要性の指標を言い訳にして、この1年を無駄にしないように」という趣旨のことを言われた。
この発言が頭にこびりついていたのだが、実際には、昼間は全然書けなくて、オフィスに座っているだけになっちゃって落ち込んだり、夜になると滅入ってきて、無理矢理論文を書こうとしてみたりと、あまり良くない生活習慣にしばしば陥っていた。
一応、投稿論文を2本以上査読に送り、その間に本の原稿をある程度終わらせるというのが今年の目標だったのだが、残念ながら本の原稿はまだ完成にはほど遠い。
ポスドクは、ある種、明確なゴールとそこに至る道のりが設定されている大学院生時代と違って、締め切りもないし、やらなければいけないことも明確でない上、監視もほぼないので、過ごし方が難しい。
特に、今年のポジションは恵まれていて、この業務に対してこの給料が払われている、というような意味での「やらなければいけないこと」がほぼ皆無だったのでなおさらである。
1年しかないポスドクだと、新しい場所についたらすぐ翌年の仕事を探さないといけない。それにネットワーキング、普段通りの研究を加えた3つが自分の「やるべきこと」かな、と考えていたのだが、自由になる時間が多すぎて、それらをどういうバランスでどう進めていけば良いのか、こういうやり方で正しいのか、他の人はもっと働いてるんじゃないか、等々、疑心暗鬼になりがちな1年でもあった。
オフィスメイトのL君は、「俺は去年博論頑張って書いたから、今年はのんびりするよ」と宣言していた(といっても、結構働いていたが)。ヨーロッパ人の余裕を感じて、いつもうらやましかった。
わたしも、もっとマイペースに、なおかつ週ごと、月ごと、学期ごとの細かい目標をもっときちんと設定できていたら、より楽しく過ごせた気がする。
まぁ、これはなにかと疑心暗鬼になりがちなわたし自身の問題という気もするが、社会科学系のポスドクは時間の使い方が難しいというのは、他の人からも聞く話ではある。
韓国ビザ
本来なら、次の目的地である韓国に今日のいまごろには出発しているはずだったのだが、ビザが下りず、まだしばらく東京にいることになりそう。
普段なら3営業日でビザが下りるはずなのだが、先々週申請にいったところ、コロナの影響で1ヶ月程度かかるとのこと。韓国に行ってからも、日本よりも全然厳しい2週間の隔離が待っているので、なるべく早く行かないとみなさんに迷惑がかかるし、困った問題である。ちなみに、韓国では空港で1回、その後病院でもう1回PCR検査を受けてからじゃないと教員住宅に入れてもらえないそう。
次のブログを書く頃には韓国にいるといいけど…。
この間、ブログを書かないといけないと思いつつ、例によってすっかり怠ってしまっていた。まぁ毎日のんびりしているだけなので、おもしろい事件も少ない。加えて、どこに行ったとか、誰に会ったとかおいそれとインターネット上で書けない社会の雰囲気をひしひしと感じ、なんとなくSNSやブログから縁遠くなっている。
日本帰国の日
ポスドク生活で楽しかったこと
去年の夏にハワイ大でPh.D.を終えて、この1年間は、ハーバード大学でポスドクとしてお世話になった。
今まで会ったことのない人たちに会えて、発表して研究にコメントをもらったり、新しい研究に誘ってもらったり、本の原稿のワークショップを開いてもらったり、恵まれた1年間だった。
1年間、日本研究という地域研究者のコミュニティの中で過ごし、社会学よりも居心地が良い部分と、考え方が違う部分について、色々と考える機会もあった。
自分みたいなのでも一応、社会学の世界の末端には属しているんだな、とか、同時にいわゆる地域研究っぽいことをやっていても卑屈になる必要はないな(社会学でアメリカ以外、さらにいわゆる統計以外の手法を使った研究だと、ものすごく疎外感を感じる…)、などなど、アイデンティティを再確認する機会になった。
一番勉強になったのは、お世話になった先生たちから、目標を高く持つように、そして時間がかかっても良いから、掲載が難しい雑誌から出版するように、励ましてもらったことかなと思う。当たり前ではあるが、いいアイディアを持っていることと、一生懸命働くことが大事だそうだ。
我ながら口憚られる陳腐発言炸裂だが、目標が高いって大事だなと思った。
ハーバードのようないわゆる名門大学と、それ以外の大学(たとえばハワイ大とか…)の差は、名門大学の方がお金に余裕があるとか、研究などへの制度的サポートが充実しているといったリソースの量の差に目が行きがちである。けれど、個人的には、ハワイ大学の方が研究がやりづらいとは感じなかった。もちろん、ハーバードはものすごく恵まれている環境ではあるけれど。
それよりも、どういう目標を持っている人たちがまわりにいるか、どういう目標を設定するのがその環境における「当たり前」なのか、という部分に一番大きな差を感じた。
ポスドク生活で難しかったこと
一方で、「出版しなきゃ、出版しなきゃ」というプレッシャーで気が焦るものの、なかなか思うように行動が伴わず、また、ボストンは天気がとにかく悪い(!)こともあって気が滅入りがちでもあった。
ハワイを離れるときに、お世話になっている先生から「どれだけ書いて、出版されたかだけが自分がどれだけ働いたかの指標だから、どれだけ読んだか・勉強したか、など副次的な重要性の指標を言い訳にして、この1年を無駄にしないように」という趣旨のことを言われた。
この発言が頭にこびりついていたのだが、実際には、昼間は全然書けなくて、オフィスに座っているだけになっちゃって落ち込んだり、夜になると滅入ってきて、無理矢理論文を書こうとしてみたりと、あまり良くない生活習慣にしばしば陥っていた。
一応、投稿論文を2本以上査読に送り、その間に本の原稿をある程度終わらせるというのが今年の目標だったのだが、残念ながら本の原稿はまだ完成にはほど遠い。
ポスドクは、ある種、明確なゴールとそこに至る道のりが設定されている大学院生時代と違って、締め切りもないし、やらなければいけないことも明確でない上、監視もほぼないので、過ごし方が難しい。
特に、今年のポジションは恵まれていて、この業務に対してこの給料が払われている、というような意味での「やらなければいけないこと」がほぼ皆無だったのでなおさらである。
1年しかないポスドクだと、新しい場所についたらすぐ翌年の仕事を探さないといけない。それにネットワーキング、普段通りの研究を加えた3つが自分の「やるべきこと」かな、と考えていたのだが、自由になる時間が多すぎて、それらをどういうバランスでどう進めていけば良いのか、こういうやり方で正しいのか、他の人はもっと働いてるんじゃないか、等々、疑心暗鬼になりがちな1年でもあった。
オフィスメイトのL君は、「俺は去年博論頑張って書いたから、今年はのんびりするよ」と宣言していた(といっても、結構働いていたが)。ヨーロッパ人の余裕を感じて、いつもうらやましかった。
わたしも、もっとマイペースに、なおかつ週ごと、月ごと、学期ごとの細かい目標をもっときちんと設定できていたら、より楽しく過ごせた気がする。
まぁ、これはなにかと疑心暗鬼になりがちなわたし自身の問題という気もするが、社会科学系のポスドクは時間の使い方が難しいというのは、他の人からも聞く話ではある。
韓国ビザ
本来なら、次の目的地である韓国に今日のいまごろには出発しているはずだったのだが、ビザが下りず、まだしばらく東京にいることになりそう。
普段なら3営業日でビザが下りるはずなのだが、先々週申請にいったところ、コロナの影響で1ヶ月程度かかるとのこと。韓国に行ってからも、日本よりも全然厳しい2週間の隔離が待っているので、なるべく早く行かないとみなさんに迷惑がかかるし、困った問題である。ちなみに、韓国では空港で1回、その後病院でもう1回PCR検査を受けてからじゃないと教員住宅に入れてもらえないそう。
次のブログを書く頃には韓国にいるといいけど…。
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