大学への就職は大変だ。の話

大学院生はどうやって「本当の」仕事を得るのか?社会科学の場合、博士号をとった人の半数近くが何をしているのかわからない行方不明状態に…というのは決して嘘ではないが、統計やビジネスに直接的に役に立つことをしていない限り、おおむねなんらかの教育または研究機関に職を探すか、あきらめて他のことをやるようである。



先日ハワイ大学社会学の大学院生会では大学院生や大学教員の就職のアドバイザーをしているKaren Kelskyさんをお呼びし、大学院生の職探しについてのワークショップをやった。常日頃から聞かされてはいるが、ハワイ大学で博士号なんかとったって就職はかなり難しいようで、困ったなー。

Karenさんはハワイ大学の人類学でPh.D.をとり、オレゴン大学とイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で人類学の教授と学部長をしていた。今はフリーランスで就職のコンサルタントをしていて、The Professor is Inという本が有名である。本来大学院教育が提供するべきものをビジネスにして金儲けしているという批判もあるが、ほとんどの大学院は仕事を得るために必要なスキルを教えてくれないし、そのせいで多くの学生が数百万から人によっては数千万円単位の借金と役に立たない学位だけをもって人生オワタしているのであって、大学院教育のあり方もまた批判されるべきだろう。



ハワイ大卒は不利

アメリカの大学は割と明確に序列化されている。4年制と2年制あわせると4,500校くらいの大学があるとされていて、その中で一番上のグループが全米に115校ぐらいあるResearch 1(R1)とよばれる研究に特化した大学である。そのほかにR2、R3、教育に特化したリベラル・アーツカレッジやコミュニティカレッジなどがある。社会科学の場合、R1の大学の先生はおおむね研究40%、教育40%、その他の雑務等20%の割合で働くことを期待されている。1年に2つから4つの授業を教える計算である。ランクが下がって行くにつれて教育の比率が高まっていき、教育に特化したコミュニティカレッジなどでは年に6つから8つのコースを教える。そういう学校にはティーチングアシスタントという教授を補佐する学生がいないので、採点などの雑務を自分でこなさなければならない。

最初からティーチングをしたくて大学院に来る人もいるし、マイノリティや経済的に苦しい学生が多いコミュニティ・カレッジなどで教える方が社会に貢献できるという意見もあるが、多くの人は研究をする時間もほしいので、待遇がいいR1の大学が人気だ。

アメリカだけでも毎年約550人くらいが社会学の博士号をとる。海外の大学に就職する人もいるが、この人たちのほとんどはR1の大学から博士号を得て、R1の大学に就職を希望する。しかしR1の大学は100校強しかない。しかもそれらすべての大学が毎年新しい教員を募集するわけではない(複数人募集する学校もあるはある)。つまり、需要と供給のミスマッチが存在するため、競争は熾烈だ。50校とか100校応募して1つ仕事が見つかるかどうかという話をよく聞く。

アメリカの大学は明確に序列化されているため、自分の出身大学よりランクが上の大学に就職できることはまれである。私のいるハワイ大学マノア校はR1の下の下の方なので、R1に就職するのは難しい。そういった意味で、前述のKarenさん曰くハワイ大学の学位はアメリカで就職をすることを考えるとディスアドバンテージになってしまうのである。ただ、それも分野による部分もあってハワイ大学の海洋学とか天文学、アジア研究などは他の専門に比べると比較的評価が高いので、自分を売れるマーケットを探して売れる能力を磨き、そこに特化することが大切とのお言葉であった。

けんけんがくがくのジョブインタビュー

先日、われわれの学部でも新しい先生を募集した。アメリカの大学はけっこう民主的で、大学院生もトレーニングの一環としてファカルティサーチに参加して自分たちの意見を言うことができる(最終的な投票権は常勤の教授にしかない)。前回の募集では最後2人の候補者のうち、どちらかにするかをめぐって学部の先生たちがののしり合うけんか状態となった。とある先生がものすごく優秀な一人の候補者のことを根拠もなく「売れ残りには売れ残りの理由があるんだよ!」と激論したことを、僕は今でも信じられなく思っている。教育っちゅうのは博士号をもらうほど長くやっても論理的に、かつ美しく生きることにはつながらないんだなぁ、と悲しく思ったが、今回も最後は割と喧々諤々になってしまった。

今回は時季外れの募集でしかも中国の社会学というニッチなポジションだったが、50人以上の応募があったという。まず、学部の先生たちで構成されたコミッティーが、50人の中から5人を選び出し、その5人の書類をもとに議論、投票してトップ3人を選ぶ。その3人をハワイに呼び、各先生が個別に面接、また研究の発表をし、最終的に投票して一人に絞るというのが一般的な手順である。

このプロセスはなんとも非人間的で、期間中は30分刻みの個人面接に加えて昼夜の食事を学部の教員と大学院生と共にしてコミュニケーション能力の有無を推し量られる。(期間中月曜日の昼はピザ、夜は焼き鳥、火曜日の昼は学食(以下続く)と、候補者に平等であれという無意味な観点から店とメニューが全く同じなので先生たちと大学院生は真面目に参加すると全く同じものを3週間のあいだ頻繁に食べることになる)。ここの社会学部は小さいからまだいいものの、僕の先生のひとりはある州立大学で3日間朝から晩まで50人以上の先生から個別で面接されたと言っていた(そしてその大学には受からなかった…)。

わりといい加減な議論

と、このような競争を経ているのだから厳格な基準で採用者が決まるのだろうと思いたいが、実際はかなりいい加減である。前回の採用では3人の最終候補のうち1人は研究の質が残念で、なぜこの人がここまで残ったんだと問題になった。残りの二人は、僕が見ていた限り研究のレベルにかなりの差があったのだが、先生同士の間で自分の知り合いとか自分に意見の近い人を採用して仲間を増やしたいといった力学が働き、悲しいかな研究の質とは関係ないところで激しい議論が起こってしまった。採用にはMinimum Qualification(通称MQ:採用されるために絶対必要な能力)とDesirable Qualification(通称DQ:なくても問題ないがあればプラスになる能力)という二つの指針があるのだが、最終段階にいたって自分の気に入らない候補者はMQを満たしていないと言い出す先生もいるのである。

今回の場合、最後に残った人はみんな研究の質がすごく高かった。みなアメリカ社会学の超一流校出身で、社会学オールスターというべき超大物の先生に「この生徒は私の30年にわたるキャリアの中で1番優秀ですうんたらかんたら…」というような推薦状をもらってきている。たとえばハーバードのような超一流大学の大学院に入って、脱落せずに卒業し、なおかついい研究をしてそれを出版するのは大変難しいことで、夢かなわなかった大勢のひとたちとの競争を勝ち抜いてきた勝者だ。しかし、このうち2人は不合格の手紙をもらう。理不尽な話である。

結果、3人のうち誰が一番社会学的かみたいなぼんやりした議論となった。ほとんどの学問ではなにがもっともその学問のあるべき姿かという点に関して学者間の合意がないのでそんなこと決めようがない。と、いうわけで、大学に限らず世の中の採用プロセスというのはだいたいみんなこのように主観的でいい加減なものだと考えて落とされても運が悪かったと考えるのがよさそうである。僕は死なない程度にお金がもらえて読み書きする時間があれば非常勤でいいしR1の教授みたいな大層な仕事が欲しいとは思わないが(思っても無理だしね)このようなプロセスを数年のうちには経ないといけないかと思うと気が重いのであった。

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