大学院生の日常とほめられたい欲求

最近はなかなかに忙しくブログを2週間も放置してしまった。私の要領が悪いということもあるが、一般的にいって大学院生は結構忙しいものである。しかし世の中では大学院生というのは毎日仕事もせず遊んでいると思われていて、「何をしているの?」とよく聞かれる。というか母親がしょっちゅうこれを言ってくる(そういう嫌がらせだろうか?)しかし他の人が何をしているかというのは結構気になるものなので、大学院生の代表的な生活とは言えないが、最近サボり気味のとある大学院生の一日と、大学院生に「あるある」な悩みをここに記述し、世間のみなさまの暖かいご理解のほどを求めたいと思う。

サボり気味の大学院生の一日(一般的なアメリカの大学院生はもう少し働いていると思う)

7:00 起床。ネット波乗り(もしくは交通事故くらいしか情報のないハワイのニュースやステマに乗っ取られた番組 Living 808を見る。) 

7:30-10:00 研究計画書やペーパーの執筆または授業の助手の仕事(先生のNickと同僚のRumikaさんはいい人。) 

10:00-11:30 研究のための読書または韓国語の宿題(한국어는 어려워요!!

11:30-12:30 韓国語のクラス(クラスメートが全員18歳なのでおじさんのような扱いを受けて恥ずかしい。)

12:30-13:00 昼食(お金がないので自炊もしくはハワイ大学で一番安いBaleのサンドイッチ5ドル。これをBale係数と呼び、Baleのサンドイッチの値段を1として食べ物の値段を計測している。学生食堂のプレートランチはBale係数1.8に達しているため財政破綻を招きかねない。)

13:00-17:00 図書館で蔵書整理のバイト、採点など授業の助手の仕事、ミーティング、もしくは都市社会学の授業に行く

17:00-19:15 オフィスもしくはコーヒー屋(なぜかいつも普通のドリップコーヒーが品切れ。韓国系の店主が変な日本語で「あちゅいでしゅよ」と言いながらアメリカーノを渡してくる)でメールを書く、授業のための論文を読む。

19:30-21:00 帰宅・ごはんを作る(お金がないので自炊。丼ものや麺類に偏りがち。一人で食べるごはんっていうのは悲しいなー。) 

21:00-23:00 研究のための読書または調子が良ければ何か書く(調子が良いことはあまりない。)

23:00-24:30 「命の水」こと安ワインを飲みつつ趣味の本を読む(パソコンを使いすぎた日は目が痛くて本が読めないので、YouTubeでフリースタイルダンジョンなどを見る。)

24:30 「今日もまた一日が終わってしまった…。この分だとあっというまに50歳ぐらいになってしまうなぁ、困ったなぁ」とつぶやきつつ寝る。たまにエロビデオを見る。

以上を日曜から金曜まで6回繰り返し。土曜はメールや締め切りがせまっているものをやる以外は休み。



意外と忙しい割に…

社会人のひとの話を聞いていると過労死レベルで働いている人も多そうなので、これくらいで忙しいなどと言ってはバチが当たりそうだが、主観レベルでは結構忙しい。しかし問題はその成果とか報酬だ。

会社員の人は忙しくても、あまり意味を感じられる仕事でなくても、労働が給料という形で単純に評価されるので、お金という評価基準を通して自己承認を高めることができる。しかし大学院生は一生懸命やってもお金はもらえない。論文や発表などで評価されるよう頑張るしかないわけだが、だいたい大学院生生活の後期にならないとそういう果実にはありつけないので、初期の数年間(人によっては5年以上)はなかなか自分を肯定的にとらえることが難しい。

お金がない…

大学院生は過労死するほどではないが、そこそこ忙しい。しかし、ハワイ大学のような貧乏大学にいる大学院生はお金がないのである。(NASAとか国立気象局とかに大学を通して雇われている人は給料の額が違うのでまた別。)ハワイ大の助手の仕事なんて税金とか保険代を天引きされたあとは月13-4万ぐらいにしかならない(外国人はすべての収入から14%の連邦税にくわえて州税をとられる)。これじゃ日本だって一人暮らしでは生活できない。他の奨学金をもらってたときは、家賃は払わなくてよかったもののスタイペンドと呼ばれる生活費が毎月3万ぐらいしかもらえなくて本当に困った(そのときは他の財団と親にたまに援助してもらったがそうでなかったら餓死である。)家族がいる大学院生はどうやって暮らしているのか本当に謎だ。

日本の大学院生もいい奨学金をもらっている人以外は相当生活は大変なようだし、ましてや非正規雇用で長時間労働しても生活できるだけの給料がもらえない人もいる中で文句を言えないことはわかっている。しかし、2ドルのコーヒーを買うべきか、それとも今月は、もうお金がないからやめといた方がいいかなー、と真剣に考えている自分を発見したときの哀しみは心にしみる。

ここで、みんなみたいにまともな仕事についておけばよかったなー、という大学院生「あるある」な悩みに直面するのである。学部のときの指導教官は、自分がそういう状況の時に大学の同級生が車を買ったとか、マンションを買ったとか、結婚したと言う話を聞いて円形脱毛症になったと言っていた。

貧しさというのは相対的な指標だ。なんだかんだといっても海外の大学院に来るようなひとは家が金持ちの人が多いので、別の収入があるのか同じ給料でも全然こまっていない(ように見える)人が多かったり、大学の同級生がFacebookで海外に遊びに行ったりうまいものを食ったりしてるのを見てがくっとくるのである(もちろん隣の芝生は青く見えるではある)。

承認の問題

問題の要点は忙しさをどうやって自分なりに納得するかにあると思う。大学院生は、一方では自分はおもしろくて意味のあることをやってるんだ、だから頑張ってやれば大丈夫だ、と思いつつも、生活は貧困、まわりからは「なんだか意味のわからんことをご苦労様です」とか「毎日遊べてお気楽な人生でいいね」という目で見られてしまう。このなかで、他者と自分からの承認を確保するのが難しい。


リチャード・セネットという社会学者は不平等の問題を「リスペクト」の問題と言う観点から論じた。人間はまわりから、そして自分からの承認が生きていくために必要だ。金がないことや能力がないことはそれ自体問題だが、それによってまわりから「リスペクト」されないことはそれ以上の問題だ。

もうすでに大学院生活にのめり込みまくってて、まわりなんか関係ないぜという人にとっては何の問題もないが、私は小心者でまわりの目が気になってしまうので結構困る(前者のような立場だと学者以外からしたらマジで何の役にもたたない研究をしてしまうという危険性もある。)とは言っても、世の中みんな苦労している中、税金で研究をさせてもらっているのに、自分たちはこんなに大変なんだ!といってもあまり意味がない。

よく目にする解決策は、助手や講師の仕事などに没頭し、大学生から先生扱いされて自己承認欲を満たすという方法である。別にそれが悪いとは思わないが、助手や講師の仕事に多くのエネルギーを使えばその分研究できる時間が減って卒業までの時間が長くなるし、卒業できない可能性も高くなる。忙しさからくるストレスとそれが評価されない承認欲求の不一致をどうやって操るかは大学院生にとって難しい問題だ。答えはないものの、①ほめてもらえるようにベタに学業を頑張る、②自分のやってることは大事なんだ!と(少しだけ)開き直る、③趣味を見つけて大学院生である自分以外のアイデンティティを確立し困ったときの逃げ場を用意しておく、といった要素のミックスが必要なのかなーと思う。

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