心の病のグローバリゼーション


グローバリゼーション—国境を越えたひと、モノ、情報の移動とそれらがつくりだす社会変化—が僕の博士課程の専門の一つになっている。

とにかく大きな話なので学者たちはありとあらゆる点においてけんかしている。なかでも中心的な争点として、特に文化的側面を考えた場合、グローバリゼーションは世界中をアメリカに変えてしまうのか、という問いがある。それとも異なる他者と会う機会が増えることでむしろ文化的違いに敏感になり(自分だけが日本人という環境ではじめて自分が日本人だったことに気づくみたいな)、差異化が進んでいってわれわれはより異なる存在になっていくのか?はたまた差異化と均質化が同時に進んでいき、もはやアメリカ的とか日本的とかいえないハイブリッドな状態をつくるのか(ハンバーガーは本当にアメリカ料理で寿司は日本料理?)

いつグローバリゼーションがはじまったのかという争点もある。1980年代?コロンブスが大陸を「発見」したとき?それとも人類が誕生したとき?なんのグローバリゼーションについて話すかによって答えは変わってくるが、最近興味深いと思った話をひとつ。

クレイジー・ライク・アメリカ

Crazy Like Us: The Globalization of the American Psyche(日本語版あり、翻訳がちゃんとしてるかは不明:クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか)という本の著者でジャーナリストのEthan Wattersは精神病がいかにアメリカ型「科学的」知識と治療法のひろがりによって変容したかを書いている。心の病はもともと場所によって性格が異なる風土病としての性格が強く、画一的な治療法はあまり一般的ではなかった。

興味深いのはアメリカ特有の心の病のとらえ方(西洋では狂気は異常で矯正されるべきものだが他の文化では必ずしもそうではない)や分類の仕方(たとえばアメリカ精神科学会の精神疾患診断・分類標準が国際的標準になった)が科学的知識として輸出され、国際的な製薬企業からの圧力によってそれまで病でなかったものが病とされてしまうこと。

著者は、香港における拒食症、スリランカのPTSD、ザンジバルの統合失調症、そして日本のうつ病の例をとりあげている。いずれの病気もアメリカ型精神医学が輸入される前はそれらの場所に存在していなかったか、あってもマイナーな病気でしかなかった。

90年代まで日本の精神科治療は重度の精神疾患に重点を置いていて、うつ病は本当に重度のものだけを意味し、患者数も少なかった。そこに目を付けたのがグラクソスミスラインなどの国際製薬会社。彼らはSSRIという薬を売るために、日本と世界の権威的な精神科医を高額のお金で子飼いにしてSSRIを推薦する内容の研究を発表させ、またうつ病をとりまく文化的環境を変えるために「うつは心の風邪」というマーケティングキャンペーンを展開。結果、自分はうつ病に違いないと考えたひとたちが精神科に殺到して医師も何らかの薬を処方せざるをえなくなる。「うつ病」の意味を変えることで新しい「患者」をつくりだして巨大マーケットにしたというお話。2008年にグラクソスミスラインはこのSSRIの主力商品Paxilを日本だけで約1,000億円売りあげたらしい。頭いい人たちはすごいね。

これによって莫大な額の医療費が費やされているだけでなく、そもそも「うつは心の風邪」という考え方自体問題含み。深刻なうつはどちらかというと風邪というより「心のがん」といったほうが正確だそうで、SSRIはそうした重度のうつ病を治療するための薬。つまり、かぜで診察にきた患者に大量の抗がん剤を投薬しているような状況らしい。SSRIの服用は自殺欲求を強めるという研究結果も多くあり、日本でもうつ病患者の自殺率が高まったこととの因果関係が疑われている。

そして納豆も

上記の話から考えると、やはりグローバリゼーションというのはアメリカ的な知識の枠組みの全世界的な広がりという感じがしてくる。グラクソスミスラインのような多国籍企業がこうした動きの原動力であるならば、彼らが今日のような影響力を持つようになったのは1970年代以降の話だからやはりグローバリゼーションはきわめてあたらしい現象ということになる。

でも、謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉を読んで全く反対のことを思ったので次回はそれについて。


コメント

人気の投稿